(6)
戦
後
、
私
英
也
が
東
京
に
行
っ
て
か
ら
、
近
所
の
建
具
職
・
久
保
田
さ
ん
か
ら
よ
く
聞
か
さ
れ
ま
し
た
。
さ
て
、私
が
小
学
校
に
入
学
の
た
め
、静
岡
よ
り
周
防
大
島
へ
帰
る
こ
と
に
な
り
ま
す
。
瀬
戸
内
海
に
浮
か
ぶ
島
で
、
そ
こ
の
船
越
と
い
う
集
落
に
祖
父
・
八
蔵
と
祖
母
・
ト
メ
、
そ
れ
に
私
よ
り
7
歳
上
の
兄
、
長
男
・
寛
治
が
い
て
、
そ
こ
に
母
と
私
と
弟
の
宏
が
帰
っ
て
来
て
、
4
男
通
夫
が
生
ま
れ
7
人
家
族
に
な
っ
た
わ
け
で
す
。
実
は
こ
の
頃
、
父
は
軽
井
沢
三島より小学校入学のため周防大島へ。
右が兄・寛治と私。母に抱かれているのが弟・宏