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河井弘志(周防大島町日前)
お待たせしました。これから「藤村英子さんを偲ぶ会」を始めさせていただき
ます。
藤村さんが亡くなられてまだ
2ヶ月にならないのですが、その間、とくに近く
にいた私たちは、何をしていいかわからなくなって、大きなものが抜けちゃった
という思い。誰に会ってもすぐ「寂しい」という言葉が出てくるんですね。それ
だけ私たちの日々の生活の中に藤村さんが入っていたのだなということを、つく
づく思い知らされました。
今日は、皆さんから藤村さんが元気だった当時の話を聞かせてもらったりして、
故人を偲ぶことにしたいと思います。ご協力をお願いします。時間は十分とって
ありますので、話したい人は十分時間を使ってお話していただければありがたい
です。
まず最初に、ご息女の藤村美千枝さんから皆さんにご挨拶申し上げたい、それ
から、いろいろお聞きいただきたい思いもあるということですので、お話を聞か
せていただきたいと思います
藤村美千枝(広島市)
せっかくお集まりいただいたので、この
機会に、娘の私から見た母のことをお話し
できたらと思いました。
ただ、母は、昔話をほとんどしない人で
した。後ろを向かない、くよくよしない、
苦労を語らない人でした。関心があるの
は、今の政治、今やるべきことでした。し
かし、母の考え方や行動がどこからきたものなのかということを考えながら、母
から聞いた話、人から聞いた話を合わせて、書いてみました。
母は大正
15年、昭和の時代が始まる直前に生まれました。6人兄弟の末っ子
で、皆から可愛がられて育ったようです。祖父は小学校の校長で、軍国主義教育
に熱心な人だったようです。母は少女の頃から、学校で教え込まれる軍国主義教
育を素直に受けとめ、天皇は神様、日本は神の国、お国のために尽すのが一番大
事、と信じていた少女だったそうです。正義観が強い母は、祖母が大事にしてい
た大きなダイヤの指輪を、お国のために出さないのは非国民だ、と責めて供出さ
せたり、兵隊さんは頑張っているのだから、とひと冬靴下をはかずに過ごした話
をしてくれました。
敗戦となり、その教育が嘘の教育だったと分かり、祖父はショックもあってか