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母は、病気になって最後の二ヶ月、仲良しの私の息子につきっきりで看病され

ました。その看病ぶりを、母は「世界一の看護」

「だれーもこんな看病はできんよ」

と言っていました。息子に甘え、とても幸せそうでした。昔、父を献身的に看病
した母は、なんだか、孫からお返しをしてもらったような気がします。そんな二
ヶ月間の看護の記録を、息子が文章にしています。今日のお土産にしていますの
で、おかえりになったら読んでみて下さい。

 

母は父の感化を受けて無神論者でしたけど、私は、母の魂が父の魂に迎えられ

て、今、一緒で幸せであることを願っています。

 

 
河井 ありがとうございました。今お話にありましたように、お孫さんの友起さ
んが介護日記を丁寧に書いておられて、あとみなさんにお渡しされると思います。
そのへんの話をちょっと追加してお話しいただけるとありがたいです。

 

 
藤村友起(広島市) 

 

孫の友起です。ばあちゃんは今年の

1月

の半ば頃から、ちょっと首が痛いんよと
言い始めて、僕は寝違えたんじゃないか
と思っていたのですけれど。それが全身
の痛みに回ってきて、やがて寝たきりに
なって、母が慌ててきた時には、ちょっと
起き上がれない状況で、これじゃどうに
もならんということで、広島に連れて帰
って、翌日には即舟入病院に入院になりました。

 

ただ、原因がわからずに先生も困っていたんですけれど。一番最悪のばあいと

して先生が検査にまわしていた検査結果が

1週間後に帰ってきて、最悪の血管性

の膠原病という病気だったということが判明した、と言われました。朝には、今
朝から腎臓が急激に悪くなっていますと言われました。

 

後からわかったんですけれど。血管性の膠原病というのは、本当は異物から自

分を守るはずの免疫が、自分自身を攻撃するんだそうです。だから自分の血管を
攻撃してしまって、一番血管が緻密になっているところが腎臓だそうです。最初
に腎臓がだめになるそうです。後からお医者さんに注意されたところでは、この
病気は、わかったときにはほとんどもう手遅れで、あとは腎機能がダメになって、
ガタガタとダメになるという人がほとんどですと言われました。ただばあちゃん
はその中でもすごく頑張って、

2ヶ月近く生きてくれて、その間には持ち直した

こともあるんですね。