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膠原病の治療とともに日赤に移った。翌日には首からパイプをつけて透析も始

まったんですね。先生から一生もう透析でしょう、と言われて、覚悟していたん
ですけれども、途中おしっこが奇跡的に出るようになって、先生からも、おしっ
こが出るようなって毒素もないので、透析は必要ないでしょうと言われ、パイプ
が取れたんですよね。

 

僕たちは、ああよかったと思って、これで退院できると先生もおっしゃるから、

そのつもりでいたんですけれども、やっぱりまたちょっとガタガタガタッときて、
最後は自宅でということになりました。ほとんどの方に「お見舞いは今は」とい
うことでお断りしていたんですけれども。だからほとんどの方は、ああ藤村さん
はもう亡くなったのだって。今年のはじめはまだ元気だったのに、と皆さん思わ
れて、あっという間だったと思われるかも知れませんけれど、側に立つ人間から
すると、すごく豊かな時間を過ごさせてもらって、楽しいこともあったし、悲し
いこともありましたけれど、そんな中でいろんな思い出がありました。

 

僕一人の中で思っているんではなくて、ほとんど見舞いにも来られなかった

方々に、少しでもおばあちゃんのその時の様子、不思議な事もいろいろあったん
です。そのことを知っていただきたくて、今コツコツそのことを書いているので
す。途中なんですけれど、それをもって帰ってもらったら、少しでも分かっても
らえるかなと思いました。

 

ばあちゃんは皆さんに愛されて、ばあちゃんの心残りとすれば、皆さんにお別

れが言えなかったことだと思うんですね。やっぱり最後に会ってお礼を言ってお
別れしたいと、多分今でも思っていると思います。だからばあちゃんに代って、
これまでほんとにばあちゃんに良くしていただいてありがとうございますとお
礼を言いたくて来ました。ありがとうございました。

 

 
河井 ありがとうございました。最後まで一番近くにいてお世話したのは友起さ
んでした。私は今見舞いに行ってはかえって負担になると聞きましたので、失礼
しました。でも途中で好転したと言う話を聞いた時は、絶対これは戻ってこられ
るなと思って、心待ちにしていたのですが、逆の結果になってしまって・・・。

 

今日実は岩国からこういうもの(清酒一本)をいただきましたので、これを献

杯というやり方で皆さんで飲んでいただいて、故人にささげたいと思います。愛
宕山は藤村さんが本当にこまめによく行っておられたところですので、岡村さん、
献杯をお願いします。