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にあるかず。
*昭和36年9月4日(月)
今日もよい天気。漁協へいって、よい老人を
紹介してもらおうと思ったが皆沖へ出ているとかでダメ。そこで末吉家へ
いく。魚問屋をした家で、いま店屋をしている。漁業そのもののことは知
らないが、はなしていると老人がやってくるのでいろいろきくことができ
る。そこで午后もいってはなしをきく。夜は公民館ではなしをする。日野、
斎藤忠氏もはなす。
*昭和36年9月5日(火)
今日も
1日末吉家にてはなしをきく。かなり
くわしく浦の構造を知ることができた。しかしよい伝承者はすくない。も
うすこし時間をかけるとよいのだが今日
1日になってしまう。来年は宇津
をやって見たい。昼のあいだに村をあるいて写真をとってまわる。まるい
石をつんだ石垣が見ごとである。夕方、墓地の方へいき、支所で懇親会。
*昭和36年9月6日(水)
朝
9時見島をたつことになるので、それまで
のあいだに要害山へのぼる。城址らしきものあり。
9時見島をたち、11時
半萩につき、船倉を見、博物館にかえる。そして調査団一行とわかれ、山
田君たちの案内で萩の市中を見てあるく。城址、寺町、相場川、吉田松陰
生誕地、東光寺など。夜、公民館ではなす。
70人あまりあつまる。かな
りの反響あり。
*昭和36年9月7日(木)
朝、
8時半のバスで萩をたち、山口へ出る。
(以下略)
Ⅲ
昭和37年度
8月29日~9月5日
*昭和37年8月29日(水)
6時
40分の汽車にて萩へ。郷土館にゆきい
よいよ見島わたり。河内支所長、萩にかわった由。
*昭和37年8月30日(木)
宇津へゆき、夕方まではなしをきき、タテア
ミを入れるのを見にゆき、夜、折居老人からはなしをきき、夜半本村へか
える。
*昭和37年8月31日(金)
役場へいって壬申戸籍をうつす。終日。朝、
墓地へいって写真をとる。シベリヤ長屋で先生たちとはなす。
*昭和37年9月1日(土)
役場で壬申戸籍と住民登録をうつす。