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はじめに

田村善次郎

『宮本常一

農漁村採訪録

ⅩⅦ』は「見島調査ノート」の翻刻である。

見島調査は山口県教育委員会と萩市教育委員会の共催によって行われた

学術総合調査で、昭和

35・36・37年の3ヵ年、いずれも晩夏、一週間ず

つ3回にわたっておこなわれた。宮本先生は調査員として民俗班に属して
毎回参加し、漁村、漁業を中心に調査を行ない、調査ノート3冊を残して
いる。ノートはA5判、4穴、横罫

25行のルーズリーフを綴じたもので

ある。このルーズリーフは、当時先生が理事をされていた林業金融調査会
で作り使っていたものである。初年度のものは上部枠外に横書きで「S3
5.8」「見島調査」とだけ記したルーズリーフを表紙にしたもので、表
裏表紙とも

98枚綴じである。2冊目は上部枠外に「36.8.31~9.

6」と横書きし、中央に「見島浦調査」と縦書きしたルーズリーフを表紙
に、裏表紙とも

101枚、3冊目は表紙なく一枚目上部枠外に「見島調査」

「37.8.29」と横書きした

56枚綴じのものである。3年目のノー

トの枚数は1、2年目のノートに比べてが少ないが、これは後で見るよう
に、戸籍写などが脱落しているからであろう。

この調査の報告書は昭和

39年3月、山口県教育委員会から『見島総合

学術調査報告』として刊行されている。宮本先生はこれに「見島に於ける
漁村構造とその変遷」を執筆している。

ちなみにこの総合調査は地質、生物、民俗、歴史、考古の5部門からな

っており、民俗班は宮本先生と山口大学の松岡利夫さんの2人が調査員と
して参加している。松岡さんは「見島の社会と民俗」と題する報告を寄せ
ている。先生のものも松岡さんのものもともに力作である。

『見島総合学術調査報告』の凡例冒頭に「本調査は昭和

35年度に予備

調査を行ない、昭和

36年と37年の両年度に本調査を行なった。昭和35

年度の予備調査の概要は昭和

36年3月県教育委員会から出版した」とあ

り、先生の日記、昭和

36年2月18日の項に「見島報告30枚をかきあげ

ると1時すぎになる」とあるから、先生が

35年度調査の概要を書いたこ