「番卒は、異様ないでたちの一行を怪しんだ。
『いずれの御藩でござるか』
詰問にかかる。
すると、一行中の波江田浩平が、つと進み出て、錦旗の下に、仁王立ちとなる。
『貴様は、この旗をしらぬかっ』
頭から大喝した。
『一向存じませぬ』
『知らぬとあれば言うて聞かせる。こはこれ、おそれ多くも、天朝よりご下賜の御旗であるぞっ』
『へへへへっ』
番卒は、錦の御旗と聞くと、そこへ土下座をして、平伏してしまった。
」
田中光顕は「この一事によってみても当時、
いかに皇室の存在が一般に認められなかったかが想像される。
」
と感想を述べるが、この話は、人気番組、黄門様の「印籠」を思い出させる。
四境の役の頃の日本は、
「印籠」から「錦の御旗」に、ひれ伏すべきものが激変したのである。
激動する日本の未来を決める戦いが、周防大島で開戦した。
なお、
第二次の長州と幕府の戦いについて
「四境の役」
あるいは
「第二次幕長戦争」
としたが、
第二次長州征伐、
長州戦争、また四境戦争とも言われる。